昭和43年12月3日 朝の御理解

信心の心得
「子を産むは、わが力で産むとは思うな。みな親神の恵むところぞ。」



わが力で産むとは思うなと。これは、あー、出産の、おー、ことを、説かれたものと思うのですけれども、んー、これは、えー、みな、あー、神の恵むところぞと。おー、自分で、えー、何をする、自分で、えー、こうするというような、自分の我力というもの、ね。わが力というものは、我力と書く。えー、我力でなすのではなくて、神様のおかげで、させて貰うのぞとか。神様のおかげで、えー、産ませて頂くのぞとか。という事になるのです。ですから、これは、いよいよ、人間の、おー、いわゆる、障子一重がままならぬ人の身とか、ね。われ無力でありという、私共には、実際には力がないのだと、言うところを、おー、出産を通して分からせて頂く。だから、これは出産だけのことではないのです。本当に、自分の力でどん産むのじゃないなあと、いう事をです。出産を通して、ま、分からせていただけと、こういうのですけれども、全てのことを。そこで、えー、ここんところの、おー、ことを良く分からせて頂くために、この前後の、おー、御教えを頂いて見なければならんと思うですね。
えー、先ず、出産ということは、あー、先ず、その前提として結婚ということがありますですね。その結婚ということの前には、先ず、縁談ということが、に、なるわけなんです。ね。ですから、縁談に、相性を改め、見合う、見合すより、えー、真の心を見合わせよと。ここでは、真という事を、信と表現しておられますですね。信心の信。
家柄一筋を改めるより、互いに、人情柄を改めよと、も、言うてありますね。家柄一筋を改めるより、互いに、人情柄を改めよと。同時に今度は、その次に、懐妊の時、腹帯をするより、心に真の帯をせよと。またその次に、出産の時、よかり物によかるより、神に心任せよかれよと。もう、ここで、言うなら出産のところを、ね。産みなされるところまでを、縁談から、あー、結婚、そうして、えー、懐妊、それから、いよいよ出産という事を、ずっとこう続けて、んー、御教え下さってありますが、ここんところを、私は、この、懐妊のことを通し、出産のことを通し、結婚のことを通してです。通して、えー、全ての事に、いー、通じることであり、全ての事に、ここんところから、分からせて頂かなければならないということです。
むかし、昔の、おー、いわゆる、物語の中に、えー、桃太郎さんの、おー、お話がございますね。昔々、いー、あるところに、お爺さんとお婆さんとおったげなという。お爺さんは、んー、山に柴刈りに行きました。お婆さんは、川に洗濯に参りました。すると、川上のほうから、ぶっかりぶっかり、大きな桃が流れてきた。ね。こちらに来い、こちらに流れて来いと言うて、その、えー、桃をひらい上げて家に帰ります。お爺さんと二人で、それを割ってみます。中から、いわゆる、桃太郎が、んー、産まれてきたというのです。この、昔話の、そういう話の中からですね。えー、今日の、ここんところの御理解を、おー、本当に、えー、その何というかね。おかげを頂くための、一つの真理が、その昔話の中に隠されておるような気が致します。ね。最近は、その、あー、男女同権といったような、あー、そら確かに男女同権なのです。ね。男が偉いの、女が、あー、卑しいものだといったようなことはないのです。ね。男尊女卑でもなからなければ、あー、女尊男卑でもないのです。ね。けれどもね。そこには、陰は陰、陽は陽、の、働きが違う。いわゆる、男は男、女は女の働きが違う。それを、例えば、女でも柴刈りに行っていいのだと。時には爺さん、あんたも洗濯に行きなさいと、いったようなことになるところに、私は、そもそも、その辺から間違うてくるように思うのです。ね。ですから、結婚に相性改めり、見合うより、ね。真の心を見合わせよと。家柄一筋を改めるより、互いに人情柄を改めよと。ね。私は、先ずその、結婚に先立って、そのようなところの、私は、その、見合わせが必要であると、こう思うのですね。また、そういう、いわゆる、心掛けが必要であると。いうならば、自分の持ち場、立場というものを、よく分からせてもらわなければいけない。ね。そこから、私はあの、んー、いよいよ、懐妊ですね。男なら男らしさ、女なら女らしさといったようなものの結合がですよ、ね。そこに、良い子を懐妊することが出来ると、こう思うのです。そこから、私は、その、良いおかげが宿ると思うのです。その、例えば、懐妊のおかげを頂いたと、そこから、懐妊のときに、いー、神の氏子が、ね。宿ったと思うて大事にしよと仰っておられるような、大事に仕方が、そこに、十月十日という、どうでも、この時期というものが、時間というものが必要なのです。ね。お願いをする。そのおかげが、本当の意味においての、おかげが生み出されてくるという事にはです、ね。どうしても、いわゆる、時節を待っておかげを受けるという事になってくるのです。ね。それを、おー、三月で産まして下さいの、六月で産まして下さいのというようなところに、完全なおかげになって来ない。またはそれが、その、流産に終わってしまう。おかげがですよ。ね。いわゆる、十月十日という、それこそ、みちくの仕事もろともにの、出産でなからなければいけないのです。いわゆる、神様のおかげでと言うのでなからにゃいかんのです。なるほど、それは、産みの苦しみというものもありましょうけれども、その、産みの苦しみというのは、実に楽しい、有難い苦しみなんです。良いものが、または、新たな命が生まれてくる、のでございますからね。そこんところで、いわゆる、我が力と、ね。我力で産むと思うな。みな親が、みな恵むところだと、ね。と言うて、ここで遊んでおってよい。もうどうせ、神様が産ませてくださるのだから、神様が下さるのだから、と、言うておるのは、何時もその、自分は努力せずに、棚から牡丹餅が落ちてくるような信心では駄目だと言われる所なのだ。ね。自然、そこにはね、自然、そこには、えー、あの、何と言うでしょうかね、自ずと力まなければおられないと。まあ、私、女でない、産んだこともないものが、あっはっはは、ね。まあ、知ったかぶりのような話しになりますけれども、そうだと私は思うのです。ね。自ずと、いわば、おなかが張ってくるとか、自ずと、力まなければ、力まなければおられない、という、そこんところを、が、あいまって行くことが大事なのです。ですから、結局、日頃の、おー、いわば、身体を大事にして、健康のおかげを頂いておきませんと、いよいよ、その時期が来てもです。それを生み出す力が生まれてこない。ね。こういう風に、なら、日頃に、信心が大事だということが分かる。ね。懐妊、そのおかげを願ったら、願ったところから、ね。例えば、三月、幾月目ですか、ね。帯掛をするようにです。ね。ここでは、真の帯をせよとこう仰る。ここの真というのは、いわゆる、まことという字が書いてありますね。まことという字ちいうが、えー、真心の真ですね。だから、神様に打ち向かい、神様に願うたからにはですね。もう、そこから、私共が信心にならなければいけんのです。お願いをさせて頂いたら、ね。こんなことを神様に、こんなご無理をお願いしよる。ですから、信心させて頂きよるものが、こげな考え方やら、こげなあり方ではいけないと、いわば、真の心にならなければいけんのです。ね。真の心になることに一生懸命努めさせて頂いて、時期を待たなきゃいかんのです。そこに、もうこれは、絶対の、ね。十月十日すればということは、時期が来ればです、自ずと、力まなければならないようなことになってくる。真の帯をせよ。ね。いよいよ、出産という時にです、よかり物によかるより、神に心任せてよかれよとこう。もう、いよいよ出産というとき、よかり物というのは、何か、しがみつくものがという意味でしょう。ね。神様に心任せて、いよいよ、いわば、大願成就、願いが叶うという時にです。あわてるなよと、あれやこれやと、手わざをするなと。ただ、心を神様に、一心に打ち向けて、そのおかげの出産というか、ね。よいものの産まれてくる、産み出されてくるおかげを受けなければならんというのである。ね。ここまでのとこ、縁談から、出産のことについてこう、教えなさっていることをです。私共は、ずっと、その、自分たちの、おー、全ての、出産だけのことではない、全てのおかげの産み出されてくるおかげのことと、対照してですね。照れ合わせて考えてごらんなさい。この通りのことが、私は求められると思う、ね。
昨夜、昨日も、おー、ほとんど、おー、菊栄会、えー、青年会の方たちが中心になって、二十名あまりの方たちが、もう、暗くなるまで御用をされました。造園、植林です。植樹ですね。もう、お湿りが、んー、ありだしまして、ちょうど、いよいよ本降りになってくるときには、もうみんな、手足洗うて、上に上がっておりましたが、ほんとに有難い。ようやく沢山の木を植え終わりまして、まあ見事に、えー、こー、生垣に、昨日は、山茶花が植わりました。皆さんもその、表の通りのところに、ああいう立派な木が植わったですね。もう本当に、もうそれは、余談ですけども、神ながらにお繰り合わせを頂きましてからね。ここへ、こういう木を植えんならんという時に、あの、電話で、こういう木をお供えしたいからと言うてから、言ってくるんですね。こういう木があるから、ここへ取りに来てくださいというわけですね。または、あー、ここは、こういう風にお供えをしたいからと言うて、あの、通りのところの、あの大きな木が十五本か植わりましたですね、ずっと。あそこのところから、それから、あー、庭の、んー、ここんところにどうもあの、住宅のほうを隠すような木が欲しいというところへ、えー、この、信者さんでもない方が、大きな檜をね、三本お供えしたいからと言うて、わざわざ持ってきて下さったんです。ちょうどそこへ、コックりのようなものですよね。もう、ちょうどあの、生垣に山茶花がこう綺麗に植わりましたが、もう、数なんかでも、まるきり、もう数えたように綺麗に、まあよう、ちょうどよかったねち言うように、おかげ頂いたねというわけですけれども、で、そういうその、植え込みが終ってからのお湿りですからねえ。やはりあの、おー、天地が、昨日の朝のご理解じゃないけれども、その事のために、動いておって下さるといったような感じでした。まあ、そういう中に、まあ、一日おかげを頂きましてから、それからまた、あー、食事終って、遅うまで、えー、委員の方たちが残っておりましたから、委員会がございました。まあ、色々と、話が進められてまいります中にです。私もちょっと参加させてもらってから、本当に、いー、こんなことで、こんなことじゃいかん。こんなことで出来る筈はないと、こう思うところに、出来るところにね。神様のおかげがあるんだと、といってこの、御造営の初めのところの話があったんです。もう、どんなに考えても、ま、委員長の正木さんが言うんですよ。もう、どんなに考えても、ここの御造営のことばっかりはですね、他の組じゃいけなかったと。やっぱり熊本の井上組でなからねばいけじゃったと言うのですよ。あれが他の組じゃったら、絶対、この御造営は出来てないというんです。ほんならその、おー、井上組と言うのが、大変な、有力な、あー、建設業者かというと、もう実際行ってみて実を言うたら驚いた。これで家が建つじゃろか、これで出来るじゃろか、こら私も一緒に参りましたが、私がですね、帰ってくるまで、もうとにかく、憂鬱になってしまって、もう、ちょいと一時ばっかり、私が、ちょいと一、二時間休ませてくれと私が言うぐらいであった。寝てから少し考えたいというような状態でしたよ。第一、参りましてから、行ったところが、もう、それこそもう、ほんとにですね、まあ、言うなら小屋のようなうちに住んじょる、建設業者だという人が。もう、事務所といったら、もう、名ばかり。ちょっと上、座敷というなら、上にお便所をちょっと貸してもらったところが、お便所に蓋が、はっは、引き戸がないとじゃけん。大便所に。大工さんの家にですね、もう、こげなことで仕事が出来るはずはなかと人間心で思いますね。表にこづんである材木なんかちゅうのは、もう、どこかの古い家を持ってきた柱やらを、うず高く、こう積んであるだけであって、もう、ほんとに、とても、これじゃあ出来んばいち言うことじゃったですよ。ね。ところがですね、一番初めの、いわゆる、人情柄を改めよというようなところがですね、元になっていることに気付くのですよ。あちらは、あんまり大きい教会じゃないけれども、古賀先生が、修行した教会が、二本木教会というのがあります。そこの、二本木教会の、おー、お広前を、この井上さんが建てたんです。そして、そん時には、随分、まあ、大きな業者のように話を聞いておった。ところがですね、あのー、聞くと見るとは、もう、おお、大相違でして、とにかく、あの時分に一千万円の工事をしたことがないという業者なんです、上げん、向こうから出てくるのに。みんな、百万か百五十万の仕事、小さい、いうなら便利屋さん的な大工の仕事だけしかしてないのです。向こうから書類が出てきますわね、どこで何千万の仕事した、どこで何百万の仕事したといったような実績をしてくるとに、あそこだけ、業者が十何軒か、あの、大きな業者、小さい業者、いろいろ、まあ、しましたけれども、あちらから来たのはそうでした。けれども神様がね、井上組と教えてくださったんです。それも、どういうことじゃったかというとですね、いわゆる、人情柄を見合わせたのですね。というのは、えー、椛目などの、一番最後の、おー、改築のときに、御神殿の、あの、檜の柾の柱がですね、ございますが、あれをその、井上さんがお供えしたんですよ。あちらこちらの業者が沢山、あー、自分方にさしてくれ、自分方にさしてくれと言うて来たときにです、最後に私が、ちょっと待ってみなさい、熊本の井上組も、あのね、まあだこちらが、御造営なんかて考えてもいない時にです、あちらに、ご改築があっとるぎなが、自分ところの檜の柱を一本お供えさせて頂きたいと言うて、檜をわざわざ、熊本から一本送ってきたです。それは、古谷さんが、あちらの、おー、設計をなさいますが、そんな関係で、合楽、椛目の金光様で、改築がありよるという事を聞いて、その、一本送ってきた。その真心に対してです、私は、あそこにも、入札ぐらいさせなければ済まんという、ここには人情柄が見合わされたのです。私がですね、もしその、人情柄というものとを見合わせなかったら、井上組というものは、全然、あるかないかすら分からなかったんです。そして、入札をして、神様から私が頂いて、これこれの条件が揃うところという事に井上組だけがぴったりあったんですよ。ね。そして、実際に、仕事やらさせて頂きますと、様々な問題もあったが、もう何時もその、神ながらな、いわゆる、十月十日の間の、産みの苦しみといったようなものが、それぞれの上に、まあ、あったわけですけども、ね。井上組だったから出来たのであり、合楽であったからこそ、井上組を、あれまで使うことが出来たということ。もう、それの、色々な思い出話をですね、今度の、おー、造園と、この造園、だから、造園とてもやっぱり同じことだということなんです。というようなですね、えー、お話が出たんです。私はその、いよいよかかる前に、一遍向こうの業者にも見てきたい、合いたいといって、実際そうだった。だって、もうこれで仕事がで、どんなに人間心で考えればもう、出来そうにはない。とうとう私はあの、途中でどっか、あー、とてもこのまま家に帰ったってどうにも出来んから、途中にどっか寄ってから、ちょいと、よーく、心を落ち着けて、神様にね。これはいよいよ、御神意をもう一遍頂きなおそうと、そげなこっじゃ合楽には帰られんて、皆さんに、どうやって話してよいやら分からんと私が思うたんです。ところが、その途中に、寄ろうと思うところが寄れなくて、結局あの、久富正木さん方へ寄らせてもらって、行ってから直ぐです、私は。とにかく風呂いっちょ沸かせてくれんの。そしてあのそこに、床ばいっちょ延べてくれんの、と言うて、あそこ、竹谷さんに、それを言うてある。風呂入って、心を落ち着けて、それから、布団を敷かせて、あそこに、二時間ばっかり布団の中に休ませて頂いた。そして、分からせて頂いたことは、ほんなこて、自分の力でばし産むごと思うてから、神様のおかげを頂かなければ、産み出すことが出来んのに、私は、どうして、何時間じゃあるけども、こげな心配したじゃろかと言うて、私が起きて、窓開けて、秋永先生、高橋さんたち、正木さんたちが、心配しておるところに参りまして、もう、これは井上組でよかばいと。そげな要らん心配はしなさんなと。ね。本当は、私共が、人間心で、自分の力でどん建てようと思うてから、建てて下さるのは神様なのだから、もう、井上組に、いわゆる、腹は決っておるように、また、なお決ったと言うて、えー、仕事が始まったんですよ。もうあれが、普通だったら、絶対、あのときに解消になってしまっとるですね。ここんところがですね、例えば、向こうの店が幾ら良いとか、力があるとか、ね。どげなよか条件を持ってきて下さるとか、あったんですよ、実際よか条件を持ってきた大きな業者が。ね。けども、ここんところを家柄一筋じゃない。いわゆる、ね。互いに人情柄を改めよというようなところがあるわけです。だから、この辺のところは、もうここの御造営が一番良い。そして、これが産み出されてくることもです、もう、その時その時にです、力まなければならない時に、力ませて頂いた。自分が力んだんじゃなかったなあ、ようも、あげな事が出来たと、こう思うけれども、ようも、あん時に、力まなければならん時に、本気でお互いが力んだなということなんですよ。ね。それが、この、おー、いわば、御造営が成就になったものでございますよ。ね。懐妊のとき、腹帯をするより、真の帯をせよと。いわゆる、今年間の間に、やっぱり、ここで仕事のあっておる限り、毎日、ようもあの、御造営日誌を見て見ますとです、ようも、二人づつか、三人づつかやろばってん、ようけ、みんなが出てきたなあと思いますよ。移り変わり。一月、二月やないです。ね。今度の植林の事なんかでもそうです。ね。皆が、はまらせて頂けばです。本当に、一気にやればこう出来る。さあ、日にちを決めて、何日、何日に誰々が出るといったようなことに、いわば、真の帯をするなら出来んことはない。ね。そういう力がですね、いわば、望まれる時。言うならば、神様が、ここの御造営を初め思い立たれたように、御造園も、やはり神様が思い立たれたという、思わにゃおれないことばっかりなんだ。いわゆる、神様が立ち上がってござるから、その神様の手にも足にもならせて頂こうという御用がです、お互い出来なければならない。ここんところを一つ、皆が考えなければいかん。もう自分な一日で、奉仕に出たからといったようなことではね、皆さんの真が疑われることになりますよね。
出産のときに、よかり物によかるより、神に心任せてよかれよと。だーれにも、頼らじゃった。だーれにもすがらじゃった。ね。勿論です、ね。勿論、あの、すがらじゃったと言うて、えー、その、あっちこっちに金を借りに廻ったとか、なんていうようなことはしなかったということ。お役に立ちたい、御用に立ちたいと言うて、こうやってきたのだけに、いわば、寄り掛かったでけのことです。そうでしたもんね。そこに、私は、あの、こういう、出産にも値する、値するて、出産と思われる、いわゆる、ここに、ね。四百何十坪もあるようなお広前が、この誕生したわけでございます。ね。それまでの、いわば、胎動てでも言うかね。懐妊のおかげを頂いたとき、いよいよこれは、合楽に御造営を思い立とうという、それまでの時期というものがです。ね。その時節、時期を待つというのも、本当に良い時期が熟したとこういうかね。その、時期の熟したことが考えられます。機能は、それからいろいろと、ここのお土地を買わせて頂くときのことからです、本当に、どげん考えたっちゃ、神様のおかげと思わにゃおられんなと、言うてその、まあ、色々、その二年前の話をね、させて頂いたんですけども、結局は、秋永先生が皆に話されたということでございますけれども、私はいなかった。ね。それでも、これでも同じだということ。ね。今度の御造営も、やはり神様が立ち上がりなさったんだと。ね。だから自分たちは、その手足に使うて頂いておるだけなんだという事です。ね。ここから、縁談から出産までの、ここのところをです、子を産むは、我が力で産むと思うな、みな親神の恵むところという事を中心にです、その、後先の御教えからです。私共が、ね。おかげを受けなければならないその、おかげに繋がる、ね。道理の上においては、全てのことが同じだという意味の事を申しましたね。ね。私達が、本当に、まだ時期もきとらんのに、その、やあや言うて、その、言いよるようなことはないかと。懐妊のおかげは頂いたけれども、さあ、そこから、ね。真の帯をせよと仰るのに、また本気で、真の帯をしよう、本気で信心になろうという帯をお互いしておろうか。ね。まあだ、生まれもせん、何時生まれるか分からんとに、もう今から、あれに頼り、これに頼り、いっちょ産まれるときには、よろしゅう頼むばのと言うて、あっちこっち頼み、神様一心ではないようなことになっておるような事はないか。まあ、色々、思うて見るとですね。えー、なるほど、目の前が真っ黒なるような思いをすることがありますけれども、そういう時には、やはり、私が、熊本から帰ってくる間をですね、とてもこりゃ、この業者じゃ、とてもどうじゃろかと、私が危ながった、ね。そこには、心を一つ、そこに停止させている。神様に心を打ち向こうて、心を落ち着けてです。ね。よくよく考えさせて頂くときに、日頃の御教えが頂ける。ね。そして、そこからです、ほんとに自分でばし建てようと思うておろうと、自分でばし産むと思うておるように、ね。例えば、産婆さんが、こら、逆子でございます、これは異常妊娠だというたら、もう心配しておる。逆子であろうが異常妊娠であろうが、どげんでん、どうあるね。ね。神様のおかげで産ませて頂くのぞという事。ね。私のほうの、愛子が産まれるときなんかは、ちょうど、北京から引き上げてくるときに、懐妊のおかげを頂いておった。大きな大どん腹して帰ってきましたがです。ね。逆子でした。ね。けれどももう、本当にもう、神様にまかせきっての、おー、事でございますし、その間に一遍、家内は、二階からですね、手毬のごとおててきた。お腹がこう大きいとに、あの狭い、上から下までおててきた。普通でいうなら、とても大変なこと。それでも、別に医者に見せるわけでもなからなければ、どうでもない。そして、いよいよ出産という時にはですね、北京でかかっておった産婆さんが、その前の日から来て、遊びに来ておりましたからですね、大分から。この人が、逆産の専門といわれるぐらいな産婆さんでした。直ぐ、北京の隣組におった方なんですけれどもね。あはっ、もう、あっちも産まれる時分じゃけんと言うてきたっじゃなかです。ある用件があって、夫婦でですね、前の日から来とった。それでもう、大坪さん心配しなさんな。私が今日来とるけんでち言うてから、まあ、それももう、本当に、普通の正常のお産よりも、安産のおかげを頂いた。というようにですね。自分の力でね。産もうとしないところに、そういうお繰り合わせ、おかげが受けられるて。それを、例えば逆産じゃけてから、もう前々から心配して、前々から、手当てをするからおかげにならんのです。ね。いや、これはお産だけのことじゃありません。全てのことがです。ね。愛子の出産のときとおんなじように、ね。一切をそこに、神様一心、神様にお任せしきっての、私共の信心のところからです。産み出されてくるものが、自然に産み出されてくる。と言うて、遊んでいるわけじゃない。力まにゃならんとこにゃ、本気で力ませて頂ながらです。お陰を蒙って来とるのでございます。どうぞ。

中村良一
2005年5月8日